dis's habits.

習慣としての日記付け。

もう一つ人生があったら叶えたかった夢。(習慣継続81日目)

自己分析を毎日していると、自分がもう一つ人生を持てるなら実は挑戦してみたかったんじゃないか?…って、事を最近ふと発掘した。

 

それは…"お笑い芸人"っ!

 

なんでこれが挑戦してみたかったのかというと、引き立てたい。自分なら引き立てられる自信がある、それをやりたかった相手がいたから…なのかな?

 

それは、小→中→高→専まで学校が一緒だった、"牧之瀬 達矢"って奴。

 

こいつがまた天性の大ボケな奴で。

 

いるだけで周りから笑いが出てくるし、普通の奴が同じ話をしても、くそつまらない話をこいつが喋るだけで笑いがどっかんどっかん巻き起こる様な奴で。

 

性格、職業柄、ひととは腐るほど出会って見てきた自分の30年の人生の中でもこういう人種に出逢った事は今までに一度たりとて無かったから、あいつはボケの天才だったんだと今なら確信出来る。

 

雨上がりの宮迫さんのYouTubeや、ダウンタウンの松本さんとか島田紳助さん、さんまさんとかのインタビュー動画とかなんかを観ていると、皆さんが口々にいわれるのが、

 

"ツッコミは鍛えれば鍛えるだけ上手くはなるんだけれど、ボケって、上手くなろうと思って上手くなるもんじゃなくて、おもろい奴は最初からおもろいねん。"

 

って。

 

このセリフを聴く度に自分はいつも決まって必ず牧之瀬を思い出す。

 

ツッコミは鍛えれば鍛えるだけ上手くなるなら、自分は努力の才能だけはあると思っているし、

 

小→中→高→専と基本的にクラスのお笑いキャラの立ち位置(基本的に小ボケ中心で、その場に牧之瀬がいるとそのボケのツッコミに自然とまわる感じだったと思う。)だった人間なので、

 

最低でも何がウケるか、何がウケないのかの感覚っていうのは、その場の空気感で感じ取れる自信がある方なので、

 

吉本さんの養成所でツッコミとしての技能を鍛えまくって、面白いネタを考えたりなんかして、幼なじみでクラスで同じお笑いポジションだった自分なら、あいつをもっと引き立ててやれたんじゃないのかなー …って。

 

そんな人生のコースもあったんじゃないのかなー。…って、いつもいつも思う。

 

そこまで考えてるなら、いま絵を始めた様に今からお笑い始めりゃ良いじゃん!

 

…って、思うかもしれないけれど、自分があいつの様なボケとしての才能があるなら、その人生の勝算が掴めるイメージとそのコントロールが出来るので、ひとりで始め出したと思う。これは本当に。

 

でも、自分には不甲斐なくもそれが無いし、牧之瀬は若年性の大腸癌をやっちゃって、無事にそれは寛解はしたんだけれど、田舎に帰って、精神的に安定した職業に就いてしまったから、また東京にそんな自分よがりな思いだけで挑戦的でストレスフルな世界に引っ張ってくる様な事は出来ないと思うから。

 

あいつにどんな言葉をかけるとどんな言葉が返ってくるかが何となく分かるのは、幼なじみだからなんなのか、なんなのかは分からないけど、それは他人でありながら、自分でコントロール出来る一部分だと思うから、ツッコミとしての自分の能力を試す事も存分に出来たと思う。

 

だから、あいつ以外の人間でお笑いをやりたいとは自然に思わない事も諦めポイントの一つでもあるのかな。

 

だから、もう1つの人生を持てるなら、やりたかった夢なのかな。

 

あいつは自分が『ミュージシャンになりたいっ!』て上京したときに洋服のデザイナーになるって言ってた癖に勝手に付いてきた様な奴だったから、絶対にもし自分が『お笑い芸人になるっ!』って、上京してたとしても、同じく勝手に付いてきてたと思うから。笑

 

勝手に付いてきたなら、自分の夢に巻き込んでも後ろめたさは全く無いしね。笑

 

森田まさのりさんの漫画『べしゃり暮らし』を読んでたり、お笑い芸人さんのコントとか漫才を観てるといつもそのステージにあいつと立ってた可能性もあったんじゃないかな。

 

…って、そう、いつも想像を重ねながらそれらをみていたりする。