模写は全く独創性を養わないのか。(習慣継続82日目)
絵に関する話。
模写は絵の独創性の勉強に全くならないというひとの声をTwitter上で見かけたのだが、それは本当にそうなのか、疑問に思う。
それが本当にそうなのであれば、ギターの好きなアーティストの曲のコピー練習は独創性を全く養わないになるし、歌歌いであれば、カラオケ練習は全く独創性を養わないになるし、読書で言えば、気になった一文を思わずメモに取って心に誓ってそれを生活に取り入れる事も全く独創性を養わないになってしまう。
自分はいずれの事も自分の物にする為の要素は充分に隠れていると思う。
以前も感じた事だが、そのコピーをするものの"好き"な要素は、そもそもが自分の中にある感性が共鳴しているから、"好き"が鳴っている訳で。
それに気付く為の練習となるし、それらを掛け合わせた物がそもそもオリジナルなんじゃないの?と、思う。
逆に"好き"の共鳴を色んな所から作る作業を余りしないひとの作品って、引き出しに"好き"のストックちゃんと新鮮な状態で保管出来ているのか疑問。
自分はこれからも自分が"好き"と思うことで、それが自分には無い要素なのであれば、何からでも最初はその真似から入って、そこから好きな要素を抜き取って、自分の要素にしていこうと思うのです。
要は、その見かけたひとの考えは"嫌い"だったので、コピーしないって話。