dis's habits.

習慣としての日記付け。

相手が大事だから遊ばない(習慣継続69日目)

このコロナ禍になってから、自分は一切の友達からの遊びのお誘いを断り続けている。

 

なので、週に1度のペースで遊んでいた友達とも、もう2年近く遊んでいない事になる。

 

電話先で相手が「気にしない。」といっても、もし、自分が無症状の感染者だったら?

 

相手に自分きっかけで感染させてしまって、それが原因で亡くなってしまうことになったら?

 

…と、思うと相手が大事であればあるほど、やっぱり自分は遊べない。万が一の時にそれでは後悔が残ると思うから。

 

相手の親とか家族から「仕方がなかった。」と、許して貰えたとしても、自分で自分が一生許せなくなると思うから。

 

それは、自分の心の為でもあり、それが結果、相手の将来安定的な健康の為にもなるなら、やっぱり自分はそういう選択をする。無責任な自由の取り方はそもそも自分の性分じゃない。

 

自分個人として生き抜く分には、このコロナに対する心掛けはこうした報道が出始めた最初の頃と全く変わらない。

 

どちらかというと良くも悪くも現実主義で日本の民法などのメディアの情報(そもそも発信者側が海外の情報次第でころころ意見が変わる様な情弱傾向にあるので…汗)を鵜呑みにせず、海外などのきちんとした科学的根拠のある組織から発信される論文などの情報を個人でダイレクトに受け取る様にしていて、そうした情報などから、気を引き締めるところはしっかり引き締めながら、気を締めなくてもいい所は過剰にならずにちゃんとリラックスもしながら、かなり必要最低限のミニマルで整った行動を心がける様にしている。

 

それなので、東京に住んではいるが、今の所、感染は無いかと思っている。(それでも自覚症状がないだけかもしれないし、その可能性を自分で根拠も無いのに否定しない。)

 

インフルエンザウイルスの感染者がコロナ前までは年平均111万人と感染していたのが、今年(2020~2021)でいえば、漸く2月になって累計1000人台を跨いでしまったが、その程度までに激減しているのにも関わらず、コロナに関していえば、そんな厳戒態勢の予防状態にも関わらず、日/400人を簡単に跨いでくることからも、非常に感染力の強いウイルスであることを数字で具体的にすると、また更に強く認識する。

 

また、若者は感染しても比較的無症状で済むから平気だという意見が自分達、若者側からあがるが、こうした状況になってから、たったの2年しか経過しておらず、一度感染した後の後遺症などの長期的なデータもまだまだ揃ってきていないという、持続的かつ、不確定的な要素がある中、現状、低毒化したワクチンを体内に取り入れるまでは感染リスクのある行動は取れないよねって話にやっぱり落ち着く。