dis's habits.

習慣としての日記付け。

11/5の振り返り。(習慣継続222日目)

•本日の習慣

読書→達成

語学学習→達成

運動→達成

ギター→達成

お絵描き→達成

 

•昨日、心の中に残った事。その影響。

→映画「ジョーカー」を今更ながら観てみた。

 

あれ?ジョーカーの成り立ちってこうやってヴィランになっていくんだっけ?って思ってそのまま元祖「バットマン」も観直す。

 

→やっぱり「ジョーカー」の“ジョーカー”になってしまうアーサーと「バットマン」の“ジョーカー”になってしまうジャックとで全く別の世界線での話なんだなと気付く。

 

アーサーは大道芸人。ジャックはマフィアの幹部。…と、いう設定で成り立ちが全然違うし、アーサーの思想が群衆に伝染していき、間接的にバットマンの両親を殺害してしまう事になる本作と、直接バットマンの両親に手を下すジャック(元祖「バットマン」)とで内容が変わっている。

 

今作の「ジョーカー」を観て感じたのは、貧困や周囲の人間関係の悪化によって誰もがジョーカーの様に変貌してしまう可能性があるという事を思わせる様な。劣悪な社会というシステムが創り上げてしまったヴィラン

 

この物語は勿論フィクションなんだけど、最近起きた、本作「ジョーカー」を模倣した電車内での卑劣な犯罪の様にノンフィクションになりえる話。そんな恐ろしさを痛感させられる作品だった。

 

最近、電車に乗るのが本当に怖い。

 

→電車内でのテロ的な犯罪が増えてきてる。でも、模倣犯の連中と本作「ジョーカー」に出てきたアーサーとは犯罪に至るまでの状況が違い過ぎて、模倣犯の連中の薄っぺらさに腹が立つ気持ちを覚える。

 

基本的には人に対して心優しい気持ちを持っていたアーサーだったけど、先天性の障害、度重なる不運。卑劣な犯罪の被害者に幾度もなってしまう事によって、心のタガが外れていってしまった事と、自身の人生が上手くいかないからという理由で起きた今回の事件とでは犯罪に至るまでの覚悟が違い過ぎる。

 

表層的な部分でしか映画内のアーサー自身に共感を覚えていないのだと感じた。