dis's habits.

習慣としての日記付け。

目標の定め方(習慣継続67日目)

絵を描くようになって、最近自分はどういった画風が好みなのかな?と、自己分析も含めて、色んな第一線で活躍している絵師さん達の作品を覗きに行かせて貰っていたりして。

 

その時にいつも感じてしまうのは、「こんなん、人間の成せる業なのかよっ!」っていつもそのあまりの緻密さと精密さに自分の実力とのあまりもの乖離に絶望的な気持ちになったりする。

 

でも、思い直すように考えるのは、こんな偉大な人達も自分と同じ様な画力であった時代がきっとあったはずだし、登山経験2ヶ月目の人間が、そもそもいきなりマッターホルンやエベレストの山頂を望んでみてもそこに登頂出来る筈はなく、ただひたすらそこにいつか挑むための基礎と応用の業を研鑽していくしかないという事を思い知る毎日。

 

一方、SNSは沢山の人が利用しているので、自分がもうちょっと努力をすれば、その表現を自分が描写することも想像に難くない、高尾山とか筑波山的標高の絵師さん達の表現をまずは一つ一つしっかり登頂表現した時に、また一つそれより高い山、また一つそれより高い山と、挑戦を重ねて行った結果、いつかまたエベレストの山頂を望んだ時、どんな感覚になるのか。

 

今は、単純にその感覚にも興味があって、それがモチベーションの一つになっていたりする。

 

そして右往左往した結果、なんだかんだ結局は行動あるのみに落ち着く訳なのです。「頭動かすより、手ぇ動かせ。」ってね。