dis's habits.

習慣としての日記付け。

相手の喜びに素直にいいね!が出来る人でいたい。(習慣継続57日目)

元zozoの取締役で今はお金配りおじさんとして世に知られている前澤さん。

 

少し前にその情報の出所が怪しいとあるニュース記事をシェアし、「分かる。世界出て行くと成功者には素直におめでとうってなる。日本は妬みや嫉みが先。」とtwitterで呟いていて。

 

そのニュース記事には、「日本人は諸外国と比較して”意地悪”な人が多く、他人の足を引っ張る傾向が強い。日本経済、低迷の元凶は日本人の意地悪さか 大阪大学などの研究で判明」とある。

 

これについては記事を書いたライターの超個人的なプロパガンダともいえる情報と言われている所もあり、その信憑性の論議はどうかとして。前澤さんのそもそもの承認欲求性などからくる引用RT呟きだったのでは?!などの論議も置いておいたとして。

 

日本はその島国的な地理の傾向と歴史的な背景もあり、多様性を認めにくい傾向の文化に育っていった向きがあり、それゆえに良くも悪くも周りと歩調を合わせない人間に対して、その杭を打つ特徴はあると個人的には思う。

 

以前、ロシア人の友人のheliに英語を教わっていた際、自分が余りにもロシアの文化を知らないことに対して、heliから「失礼ね!」と怒られたことがある。

 

単純に自分の無知な所もあるが、果たしてロシアの文化をそれほど理解している日本人はどれほどいるのだろうか?

 

それほど日本人は世界から見て、日本という国以外にあまり関心がなく(アメリカの様な属国に近い関係で文化が強制的に流入しやすい状態にあるものは別として。)、鎖国的で良くも悪くも自己協調性の強い国なんだと感じている。

 

なので、その協調性から外れる人間に対して、”裏切り者”でも見つけたかのように非難心が湧き立ちやすいのだと思う。

 

海外の友人を幾人か持ってみると、本当に些細な他人の喜びに対して、全力で驚いてくれるし、喜んでくれる。時には一緒に悲しんでくれる。

 

その他を認める心の豊かさは、やはり大陸続きの土地にいて、隣国と地続きにある地理的傾向から、そうした多様性を認めやすい文化的傾向に育ちやすかったのではないだろうか?とは、また個人的に考えた事。

 

そんな自分も前までは頑張っている人間や自分より成功している人間を見ると何か悔しくてその人に向けて嫌な感情を向けたことは幾度としてある。

 

でも、習慣を始めて具体的な目標に向けてアクティブに行動するようになってからの価値観でまたそういう人たちの動きを見ると素直に「いいね!」って思う自分も今はいて。

 

同じ目標に向かって動いている同志というか、その人間の影の見えない部分の行動の過程も自身が既に近しい体験を現在進行形でしているからこそ、何と無く想像、思いやれるから、素直にその頑張りに対して「凄いね!」、「いいね!」って称賛の気持ちを持てるのだと、自分は今になって気付いた所。

 

なので相手の頑張りや喜び、成功体験に対して妬みや嫉みの気持ちが優先して、相手の気持ちに共感出来ないのは、まさにその人にその過程に似た現在進行形の体験が無いからだと思った。

 

全ては自分の実際の行動から生じる、その心の持ち方次第で如何様にも変わってしまうのだということ。

 

そう行った意味でも心の幸福感を保つ為には人生に渡って何かに向かって励む事の歩みを止めるべきでは無いなと思った。