dis's habits.

習慣としての日記付け。

習慣の達成をよりイージーにする方法。(習慣継続50日目)

数年前、ある国家試験の受験勉強を明治大学の現役生である、弘中寛太という人物に手伝って貰っていた時の話。

 

最終学歴が専門学校を中退したので、”高卒”の自分からすると、寛太は大学院に進学していたので尊敬する部分しか無く、その当時、勉強法のノウハウを少しでも学び取ろうと家庭教師をお願いした経緯があって。

 

そもそも自分の勉学との向き合い方としては、小中はいまいち冴えなかったものの、その後、塾に通い始めてからは高校では校内テスト1位〜10位の順位をキープしていた事もあり、それなりに自信はあったのだけれど、その当時から、いまいち毎日の習慣という程、勉強の習慣も無く、また、身に付けようと思っても小中の頃からの悪癖が中々取れる筈も無く、全く日々の生活に習慣としては身に付かなかった。

 

その当時、国家資格の受験勉強という事でそれなりに勉強量が必要になることから、本格的に習慣的に勉強をする癖を身に付けなくてはいけなくなって、困っていた時にその寛太が教えてくれたことは、”毎日の習慣の目標を設定し、その目標のハードルをかなり低いものに設定する。”というやり方だった。

 

”かなり低い”とあるが、当時、どのぐらい低いハードルだったかというと、当時の習慣付けとして、暫くの間の目標だったのは、”その勉強する教科書を開く事”だけだった。

 

「教科書を開けば、その日の勉強の目標は達成。」

 

勿論、これだけでは内容的には全く学習となっていないのだけれど、あくまでも最低目標としてのハードル設定だったので、やりたければその先に進んでも良いし、気が乗らなければ、その日はそれで終わりにして良し。と、いう自身にその先の選択の自由があった。そして、そのどちらを選んでも、自身のその日の目標は達成されるのである。

 

その時の気付きとしては、人間始めるまでが億劫な気持ちになっているだけで、いざ始め出してしまえば、始める前の億劫さは何だとばかりに1、2時間平気でその作業を通せるという事だった。

 

寛太曰く、”ある何かを始める事のきっかけ作りが下手だっただけ。”という事だった。

 

そして、その日の目標が達成出来たら、カレンダーに目標が達成出来たことの印を付ける事も加えて行うと良いとの指示を受けた。

 

この事によって、連続的に習慣を達成していく実感を記録として体感する事が出来、その記録を伸ばしてみたいと思うのも人の心理なので、そうすると次第に生活に勉強の習慣が身に付いてくる。との指導法だった。

 

…今から考えてみても、彼のこの指導法は今の自分の習慣に部分的に取り入れられている(習慣継続の日数累積など。)し、科学的な習慣付けの知識が備わっている今、現在、考えてみてもハードル(自身との約束)をわざとかなり低く設定して、自分自身との信用を積み重ねる行為だったりはとても理に適っていたなと思った。さすが寛太さんや。

 

ふと、思い出した、そんな話。