dis's habits.

習慣としての日記付け。

信用と信頼の違い(習慣継続48日目)

これも今読んでいる本で自分が腑に落ちた事なんだけれど、人間関係でいうところの仕事の関係とは”信用の関係”であり、交友との関係の事を”信頼の関係”と分ける事が出来る。

 

自分のtwitter本垢の方で以前、これに似たような事を呟いていて、「学生時代の旧友との関係を専ら絶って、ビジネス上の付き合いの人間の事を友人と言っていることに違和感を感じる。」的な。

 

そこで改めてこの本でいう、人間関係における”信用”とは何かというと、”基本的に何らかの契約の元で結ばれ、付き合うことになった”ことをいう。

 

逆に”信頼”とは、”損得勘定無しに付き合っていたいと思える”事をいう。

 

田舎から東京で生活をする様になって長い事経つけれど、今振り返って、この点から考察すると自分の中での信頼の関係における人というのは、学生時代を除くと、本当に名前を出して数えられる程度の人達としか信頼という意味での人間関係を築けていないと思うし、そもそもに大人になって東京という新天地でビジネスを除いた関係を作ることの機会は滅多に無く、改めてこの本を読んで、学生時代の学友の大切さが身に染みた訳だ。

 

ところ変わって今、そんな自分の地元の旧友の一人で連鎖販売取引講を始めてしまった奴がいる。俗で言われるところの「ねずみ講」というやつだ。

 

その商売自体は合法な以上、この場を使って否定する気はないが、例の如く、その旧友は当時の学友だった者達に次々と声をかけて回っているそうな。

 

冒頭の話からすれば、彼は人間関係における信用と信頼の区別がまだ認識出来ておらず、交友の関係である者に信用の世界の話を持ちかけているので、結果ことごとく、その人間関係に破綻をきたしている状態にある。

 

旧友の説得に彼が耳を傾ける事をせず、以前としてその行動が変わらないのも、その為にあると言える。信頼の関係である者の言葉にも信用の世界にいる者には言葉が届かぬものだから。

 

ここで、この本では信頼について、”信頼と尊敬は同義”と述べていた。

 

この本でいうところの”尊敬”とは、”その人のありのままを受け入れる行為”とのこと。

 

その点で、彼は「お前はこのままではダメだ!」とのこのビジネスにおいて、良く言い回しされる口調において、交友関係にある者をその契約に口説き落とそうとする。

 

それは尊敬の行為には程遠く、よって信頼関係に破綻をきたす行為になったのではないかと加えて推察出来る。

 

また、人は基本的に自分の事を認めてくれる人、信じてくれる人の言葉しか耳を傾けて理解しようとしない心理的性質があり、いかに正しい論理でその仕事を説いたとしても、その意見の正しさでその物事を判断する訳ではないという事も忘れてはいけない。

 

旧友として、いつか彼が自分自身で気付けると良いと思った。

一方的ではあるが、交友の関係にあるものとして、今は今の彼を否定せず、ありのままを受け入れようと思った。

 

そんな話。