dis's habits.

習慣としての日記付け。

情報の取捨選択への価値観 (習慣継続23日目)

朝のニュース番組なんかを観てると、ほんの一部の根暗というか、内向的というか、自己中心的でネガティブ思考の人間のSNSでの意見が取り沙汰されて、世の中がその意見に引っ張られている傾向になっていないのかな?と、感じる。

 

攻撃的で強い言葉は他人の目を引いたり悪目立ちしやすい。

 

SNSに関して言えば、個人の意識を地道に改革していくしかないものの、メディア側に関して言えば、それを敢えて分かった上で正す様な発信はせず、商売として、それらをピックアップして薪に火をくべている様子が垣間見えたりするから、また、それが気持ち悪かったりする。

 

集団心理的に大衆はそういったメディアのピックアップを素直に受け取って、例えば、子供へのハーネス問題とか、”それはその家庭それぞれの選択の自由でしょ。”…みたいな結論でしかない、とても議論に値しない問題を結構、本気にあーでもない、こーでもないと、議論しだしたりする。

 

もっと世間はこういったどうでもいい問題に関して、無関心をきっちり態度で示さないといけないと思う。

 

需要がなければ、情報として淘汰されることと思うから。

 

そんな話。