dis's habits.

習慣としての日記付け。

「好き」の強さで仕事する (習慣継続73日目)

中国もアメリカも少子化対策に励んでいるというニュースを今朝、とある記事で拝見した。

 

かくいう我が国、日本も今や、15歳未満の子供の人数より、ペットとして飼われている犬・猫を合わせた匹数の方が多いという統計が出ている。

 

出版の話で言えば、子供向け雑誌より犬・猫向け雑誌の方が潜在需要があるという。

 

小学館さんから発刊されている「小学◯年生」シリーズも”小学一年生”を残して、全て廃刊となってしまった話も有名。

 

将来的にこれらの問題が解決されない以上、段々とあらゆる市場が先細りしていく世の中になっていく事は現実として直視、分析せねばならない。

 

市場が先細りしていくという事は供給に対しての需要が落ち込むという事なので、競争率がどの業界もこれより増していくという事。

 

競争率が高くなるということは、ある物の価値が下がり、対して求められる要求が高くなる事。

 

自分が今、興味のあるクリエイター方面で言えば、求められるスキルの要求が高くなるが、その面の対価、報酬が少なくなっていくという事。

 

何が言いたいのかというと、これからはより「好き」が強くないと仕事として継続していけない社会になる方向に向かって行っているという事。

 

対価や報酬をモチベーションとして価値感を置いていたのだとしたら、その仕事の継続は今後とても難しいものになっていくと思う。職種によっては生活費を賄えない物も出てくる。

 

でも、対価は生活をする上で必要なもの。なので、好きなものを仕事に2刀流、3刀流、4刀流…という社会が待っていると思う。と、いうか既にもう来ている。国や大企業なども"パラレルワーカー"を実際に推奨している。

 

好きでただ続けているだけなら、老後の楽しみとして盆栽を活けている老人の趣味同様、活動を辞めるという行動には至らないと思うが、そこから得られる対価を生活の要にしていて、また、その一つに人生を賭ける様な昔ながらの価値観の人には、上位10%未満の上位層に激しい競争で勝ち上がり、留まり続けるといった、これからかなり厳しい社会が待っていると想像出来る。